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今日は久しぶりにカラッと晴れました。
このところちょっと遠出・・ということが全然出来なかったので、
ドライブがてら娘と愛知が誇る文化遺産(←?)、明治村へ行ってきました〜!
なんとなく前から明治村に行きたいな〜と思っていましたが、やっとこさ行く気になりました。
不思議ですね、小学生の時に遠足で来たり家族で来ても、
建物を見るだけで何が面白いかわからなかったのに、
今では人が生きてつなげてきた息吹を感じたいと思って行きたくなるなんて。
明治村へ
さて何十年ぶりかに足を踏み入れましたが、いいですね〜!
こののどかさ!
ベタな記念撮影。あ、「明治147年」になってる!今気づいた!
建物のギシギシときしむ音がまた何とも言えずいいですね。
もちろん修復していたり改築しているんだろうけど、
当時の雰囲気が味わえてまた不思議な気持ちになります。
例えば病院のベッドの枠っていうんですか、
足の方の枠(柵?)をここに寝ていた人がきっと見つめていたんだろうな〜どんな思いだったのかな〜とか、
自分と重ね合わせて考えてみたり。
この住居で生活していた人はどんな日常を送っていたのかな〜とか、想像が膨らむとこですね。
診療所での一コマ。
10年後の私へ届く手紙
そして知らなかったんですが「宇治山田郵便局内」で、
10年後に手紙がとどく「はあとふるレター」っていうのをやっていました!
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私今回これをやるために導かれたのかな〜と思えたんですが、
私の通った心理学の講座でいろいろ自分と向き合う機会があって、
特にひすいこたろうさんの講座に心を打たれ、
今朝彼の著作「あした死ぬかもよ?」を読み終えてちょっといろいろ考えてたところだったんです。
⇒【ひすいこたろうさんの名言セラピーは講演で聞いても名言すぎた】
書きました。自分自身に。
生きているかわからないのでとりあえず
「生きている私」と「これを読んでいる誰か」に向けて。
書いててわかったんです、というか頭の整理ができました。
やっぱり私は「◯◯になっていたい!」とかそういうのはなく、
「一日一日を大切に、楽しく生きているか」ってこれだけ。
いろんなこと考えました。
10年って言ったら間違いなく今いるネコのチャチャはこの世にいないだろうし、
親だってどうなるか、ましてや自分自身もいるかわからない。
ただ娘は「どうなっているかわからない」中には入っていなかった。
本当に本当に娘だって正直どうなっているのか神のみぞ知るところだけど、
願わくば元気でいてほしいし、10年後も元気にやっていると信じている。
何回「楽しい」という言葉を書いたんだろうか。
書きながら「あ〜そうか、やっぱりそれがキーワードなんだな」って感じた。
もう生まれて来たからには必死に生きて、必死に死んで行く。
誰もが同じようにいつかは還る。
明日必死に生きたいと思った誰かの明日を「当たり前」のように生きる。
病気でもう病院から出られなかったり思うように体が動かなかったり
、私が「フツー」にテレビを見て「フツー」にご飯食べて「フツー」に仕事をして、
そんな「普通」が「フツー」ではない人もいる。
私も入院してごはんが食べられなかった時があったり、
歩けなかったり心折れたりして、
どれだけ「フツー」のことが幸せか、実感するようになった。
だから今はごはんが食べられることが幸せでダイエットもしない。(←止まらない食欲の言い訳!?ぽっちゃり!)
物欲もすご〜〜〜〜く減った。
なんかフツーの日常が送れているだけでもう幸せ。
こう思えるのも実は癌のおかげっていうのも皮肉なものですが。
(こう言えるのも今経過観察にあるからだと思います。
再発とかもう日常が送れないくらいになるとそんなことは言えないんだろうけど。)
私は最後に誰かお迎えに来てくれた時に「楽しかった?」と聞かれて「うん!!」と言いたい。
だから楽しく生きることが私の今世の目標だと思う。
10年後の自分へ書いたけど、なんかもうそこにいると思います。時空を超えてるというかなんというか。
私前世楽しめてなかったのかな〜?
そんな思いで明治村をあとにしました。
もう人生最後の明治村かもしれない。
楽しい一日だった!!
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