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「今こうして辛い事あるんだけど”修行”だからね〜」
「これを成し遂げるために好きな食べ物断ってるんだけどこれも”修行”だと思ってね〜」
この言葉にとても違和感を感じます。スピ系の人からよく聞く言葉の気がしてますが。
”修行”だから、感情は関係なしにイヤでも行わなければならないの?食べたいのに我慢しなきゃいけないの??
それってワクワクしながらやってるの??
・・・って思ってしまいます。
そりゃ生きていれば怒りや悲しいといった避けたい感情がでてくるのも事実。
そんなときはなぜ私はこの「(相手の)行為」が「こういう感情」を引き起こしたのか、根底にある思いは何だろうかと自分に問いかけます。
その感情を”修行”と思えばそれは全然自分のことを理解せず、「自分を高めるために必要だ」とか「成長するために仕方ないのだ」などとあきらめに近い感情を持つ事になると私は考えてしまいます。
ええ?でもそれって楽しくないじゃん!何もワクワクドキドキしないじゃん!
もちろん修行って言葉が悪いわけじゃなくて、「仏の悟りを求めて実践すること」ってあるけど、イメージするのは断食とか滝修行とか、なんだか苦しげ。「楽しく断食してまーす!」「滝に打たれるのって気持ちいい〜!」ならサイコー。でもやっぱりその言葉を使っている人って全然楽しくなさそうだし悟りを得るためにそんな思いするくらいならやめればいいのに!って思うくらい暗い顔してる。
修行したあと何があるの?「この世は修行」って誰が言ったの!?
私はそんな修行しません。まず無理!!
3秒後の自分だってどうなるかわからないのにツラい修行をやってる暇はありません!
今を味わい尽くす!とことん楽しむ!!
腹が立ってても「今、腹が立っている」と思い、食べたいものを食べ、眠くなったら寝て、泣きたかったら泣いて、ひきこもりたかったらとことんひきこもって、(仕事がやめたかったらやめて・・・これには個々の事情があるので「やめちゃえ〜」とは簡単には言えないですが楽しみを見つけることはできる!)、心がぶれる時はぶれまくって!「あるがまま」に生きればいいじゃ〜〜ん!
受け取り方次第で光輝く世界にも、どんより曇った世界にすることができる。
自分が主役の世界だもん。好きにしたらいい。楽しいことしかしてないですから〜〜^m^!
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